大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和37年(ツ)33号 判決 1963年2月28日

上告人 番匠寅松

訴訟代理人 沢克巳

被上告人 佐野留次郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

一、本訴は所有権に基づく家屋明渡請求訴訟であつて、被上告人は所有者訴外吉川八重から係争家屋を買い受けて所有権を有すると主張するに対し、上告人は係争家屋は前主訴外内藤栄一から訴外西原義計を経て訴外成瀬正竹に転売され同訴外人が所有者であると抗争した。原判決は、証拠に基づいて「本件家屋について昭和二七年六月五日大阪法務局受付第八一九二号を以て被控訴人(被上告人)が同月二日所有者吉川八重から売買を原因として所有権を取得したものとして所有権移転登記手続がなされていることが認められるから、反証のないかぎり、右登記簿の記載に基づき被上告人は昭和二七年六月二日所有者吉川八重から売買により本件家屋の所有権を取得した真実の所有者であると推定すべきである。」と判示し、本件の証拠ではこの推定をくつがえして上告人の主張を認めるに足る反証はない、と判断した。この点について論旨は、原審の右判断は登記の推定力を過大に評価して証拠を解釈したと主張する。

二、わが不動産登記制度のもとにおいては、登記に公信力は認められていないことは所論のとおりである。しかしながら不動産物権の得喪変更については登記をもつてその対抗要件と定められていて、登記は当該不動産の権利の表章としての作用を営むものであるから、現に効力のある登記は正当な真実の権利状態と符号しこれを反映する蓋然性は極めて高度に存するものと認められる。したがつて登記簿上の所有名義人は、反証のないかぎり、これに伴う実質的な権利を有するもの、すなわち、右不動産を所有するものと推定すべきである(最高裁判所昭和三四年一月八日判決、民集一三巻一号一頁参照)。この不動産所有権の登記に認められる事実推定の及ぶ範囲は、登記簿上に表章された所有権が登記簿上の現在の所有名義人に帰属しているという権利状態であり、かつこれにとどまるのであつて、登記簿に記載された権利変動の態様や過程にまで登記の推定力は及ぶものではないのである。なんとなれば不動産所有権の得喪変更の生じた都度その実体関係に符合する権利変動の態様やその過程を登記に如実に反映し、形影相い伴うものとすることは一つの理想ではあろう。しかしながら現行の登記申請手続やその審査に、この理想をみたすに足る技術的円満性を希求することは無理を強いるものであり、またそれは必ずしも法の厳格に要求し達成せんとするものとも思われない(事実において、中間省略登記、担保権の取得の場合における所有権取得の登記、所有権取得登記の抹消登記に代えての所有権移転登記、判決に因る登記、その他、このような真実の実体関係とは必ずしも一致しない登記も少なくなく、しかもその合法正当性はなんびとも否定しえないであろう。)。そうだとすれば、登記簿の記載が真実の権利変動の態様や過程に符合する蓋然性は、推定を定立させるまでに高度には存しないといわねばならないのである。したがつて前示のごとく、登記簿の記載に基づき本件不動産についての被上告人の前所有者は吉川八重であり、同人から被上告人へ昭和二七年六月二日売買を原因としてその所有権が移転したものと推定すべきものとした原判決の判示には、登記の推定力についての判断を誤つた不当があるといわなければならない。しかしながら、本件は所有権の帰属そのものが争点であり、所有権帰属の過程や要件事実そのものいかんは本件の判断に影響を及ぼすものではないから、右の不当は原判決破棄の理由とならない。

三、上告人は、原審は登記の推定力を過大に評価し採証の法則を誤り、登記の推定力というよりは登記の公定力を認めるにひとしい不合理を犯していると主張する。しかしながら原審は登記に公信力を認めたものでなく、被上告人は、反証のないかぎり登記簿の記載に基づき本件係争家屋の真実の所有者であると推定すべきであり、所有権の帰属について上告人の主張に副う証拠もあるが、結局右推定をくつがえして上告人の主張を認めるに足る反証は存しないと判断したものであることが原判文上明らかである。登記の推定力は証拠の価値判断についての自由心証の一発現たるいわゆる裁判上の推定(事実上の推定)ではなく、法律効果を生ずる要件事実の証明に代えて、登記簿に登載されている事実を立証することによつて直接に権利状態を推定するのであるから、いわゆる法律上の推定にほかならない。したがつてそのかぎりにおいてあたかも立証責任が転換されたと同様の効果を生じ、推定の覆滅は単なる反証では足らず、推定により不利益を受ける相手方が、推定された権利状態と相い容れない権利状態の立証、もしくは推定された権利状態の不存在の立証をなすべく、これを尽さない以上、推定がそのまま真実とされるほかはないのである。ひつきよう所論は右の意味における反証の責任を上告人に負担させた原審の正当な法律上の判断を、独自の見解のもとに攻撃し、原審の専権に属する証拠の取捨判断を非難するに帰する。所論は採用できない。

四、上告人は、原審は証拠の解釈を誤つて、伝聞や推測に基づくものでないものを伝聞や推測と判断し、排斥した違法等があると主張する。よつて記録を検するに、第一審証人内藤栄一(記録八一丁以下)の「早川が管理していた家を自分が買い宮津に転売し、さらに宮津からその家と敷地を買つた」旨の証言部分、又第一審証人早川富蔵(記録八七丁以下)の「姪の吉川八重所有の家を管理していたがこれを内藤に買つて貰つた。その後西原が買い自分は登記所へ登記のため西原と同行した」旨証言する部分等は伝聞や推測に基づくものでないことは明らかであるが、その他第一審証人山中初市(記録七二丁以下)同中村善三(記録一〇九丁以下)同岡田峯吉(記録一一三丁以下)の証言中本件家屋の所有権移転に関する部分が伝聞や推測に基づくものであることは明瞭であり、乙第二号証(記録九五丁以下)乙第三号証(記録九七丁以下)は、いずれも上告代理人が関係者の供述を録取した文書であるから、やはり伝聞証拠に属するものである。したがつて原審が「各証拠のうち控訴人の主張に副う部分は、そのほとんどが伝聞や推測に基づくもの」であると判示したのは当然であり、しかも原審はそれらの証拠は他の証拠と対比して信用しないとしたものであり、乙第八号証の三には上告人の指摘する記載もあるが(記録一五四丁)それに反する記載もあることは上告人の認めるところであり、結局所論は原審の専権に属する証拠の取捨判断を非難するに帰する。原審には証拠の解釈を誤つた違法はない。

五、よつて本件上告は理由がないから、民事訴訟法第四〇一条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平峯隆 裁判官 大江健次郎 裁判官 北後陽三)

上告理由

原判決には理由不備または理由齟齬の違法がある。

一、原判決は、本件家屋の所有者は被上告人ではないとの上告人の主張を認めることができないとし、その理由として、上告人の提出した証拠のうち上告人の右主張に副う部分は

1 そのほとんどが伝聞や推測に基くものである。

2 乙第八号証の三および原審証人成瀬正竹の証言・原審における被上告人尋問の結果に対比するときは、たやすく信用することができない

と説明している。

二、しかしながら、右は原判決が証拠の解釈を誤つたものであると云わねばならない。その理由は左の通りである。

1 原判決は「右各証拠のうち控訴人の主張に副う部分は、そのほとんどが伝聞や推測に基く」と云い、どの証拠を指して云つているのかは明かでないが、原判決の挙示する各証拠のうち客観的に最も重要な価値を有する証人内藤栄一・早川富蔵・岡田峰吉の各証言中、右争点に関する部分が伝聞または推測に基くものであるとの根拠は見当らない。すなわち、

証人内藤は本件売買の仲介人ないし当事者たる資格において、証人早川は売主の代理人たる資格において、それぞれ所有権の移転に直接関与した者であるから伝聞や推測を用うる余地はなかつたし、その証言も明確且つ断定的な表現を用いていることは、上告人が昭和三六年一〇月二七日付準備書面の第一項において引用した通りであつて、いかなる角度から見ても推測または伝聞に基くものであると認めることはできない。また、乙第三号証の供述者であり原審の証人でもある岡田峰吉は、本件家屋の所有者から依頼を受けて上告人に対し家屋明渡を交渉し、且つ上告人に対する別件家屋明渡訴訟の提起にあたり弁護士中村喜一に事件の依頼を斡旋した関係上、これまた本件家屋の真実の所有者が同人であるかを直接に知つている立場にあるから、推測や伝聞に基いて供述する必要は全く無いし、前記供述書の記載および証言の内容においても明確且つ断定的表現を用いているのであつて、推測や伝聞に基くものと認むべき根拠は全く存しない。

それでもなお、これらの証言が推測や伝聞に基くものであると認むべき特別の根拠があるならば、原判決は須らくその根拠を説示すべきである。

要するに原判決は、根拠がないのに単なる臆測によつて証拠を解釈したものと謂うべきであり、結局、理由不備又は理由齟齬の違法があるに帰する。

2 原判決は乙第八号証の三を以て上告人の前記主張を否定するものと解しているが、これも証拠の解釈を誤つている。

尤も、右書証の記載において証人成瀬正竹は、初め本件被上告人代理人の誘導尋問に対し、本件家屋を被上告人が買取つた事実を肯定するような証言をしているが、その後で、「土地も買うてくれといつたんだね」との問に対し「ええ」と答え、また、本件上告代理人の「宮津は土地も買うてくれといつたんですか」との問に対し「ええそうです」、「土地以外に何か買うてくれといつたんですか」との問に対し「土地と家を買うてくれです」と答えている。

これらの問答は、本件家屋およびその敷地の所有者が、ともに訴外宮津辰造であつたと云う事実のほかに、土地と家屋の買主が訴外成瀬正竹であつた事実を証明するものである。殊に本件家屋が当時すでに古くなつていて、この場所で化粧品店を開業するためには、家屋を取りこぼつて新築するか少くとも改築(大改造)することを要し(原審証人成瀬正竹の供述参照)、現状の家屋そのものが、ほとんど無価値に等しかつた事実を考え合せるならば、土地と家屋とを別異の者が買取ると云うことは経済的に無意味であるからである。

この点においても原判決には理由不備または理由齟齬の違法がある。

3 原判決は不動産登記の推定力に関する法律的評価を誤つている。

登記に公信力が認められないのは現行登記制度が形式的審査主義を採つているためであるから、登記の推定力は、判例学説上認められているとはいうものの、右と同様の理由で之を小さく解すべきである。どの程度の推定力を認むべきかは具体的場合に応じて異るであろうが、本件の如く取引の安全に何の関係もない場合には最小限度の推定力を認めるに止めなければならない。本件について之を観ると、証人内藤・同早川および同岡田等の証言が重要な価値を持つていることは客観的事実であり、就中岡田峰吉の証言の如きは殆んど決定的価値を有するのであるが、原判決は、之等の証拠を被上告人本人の供述および之と同視すべき立場にある証人成瀬正竹の証言と対比して、後者を前者よりも優ると判断している。かかる採証の方法は、登記簿上の権利者本人が登記の不真正を自認しない限り登記の推定力をくつがえすことはできないと云うことになり、登記の推定力というよりは登記の公信力を認めるにひとしい不合理な結果を招くものである。

三、結び

証拠の解釈は客観的・合理的であり実験則に合致するようになされなければならない。この意味において証拠の解釈は法律問題であつて、主観的評価たる自由心証の問題とは自ら範疇を異にする。即ち、証拠の解釈を誤ることは証拠によらないで事実を認定することと同一の結果に帰するのである。

叙上の理由により 原判決は実験則に反し、登記の推定力を過大に評価し、根拠なき臆測に基いて証拠を解釈したものであつて、結局、理由不備または理由齟齬の違法があると謂わなければならないから、民事訴訟法第三九五条第一項第六号により破棄されなければならない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例